店主はランナー

「フルマラソン完走コメント」

        2005年 3月20日 第8回東京・荒川市民マラソン   
     

3月20日、「第8回東京・荒川市民マラソン」、30代のうちに挑戦してみたかったフルマラソンの完走を目標に、1年前から走り始めた。

 

この大会は、日本陸連公認コースによる、東京で唯一の市民参加型フルマラソンである。約2万人ほどのランナーが全国から集まる。制限時間が7時間、完走者数で日本一、全国ランニング大会100撰でも2年連続で1位に選ばれている。メイン会場は、僕が小学生だった頃、野球をよくしていた場所だ。

 

昨年3月に出場した「三浦国際市民マラソン」では10キロ、次いで、11月には「ねりま光が丘ロードレース」での20キロを走った。過去に陸上経験がない僕としては、1つの大会にエントリーしてから、時間制限内に走ることを目標に練習をする。

 

今回もこれまで同様、店を終えた深夜に、自宅近くの光が丘公園の外周を走った。翌日の店の忙しさも予測、自分の体調とあわせて走る日を決め、練習量を調整する。無理をすると身体を壊すことになりかねないのは重々承知だ。慎重の上にも、慎重を重ねた。

 

大会当日は、やや肌寒い天候だった。戸田橋そばのスタート地点から、荒川河川敷を走り、江戸川区の荒川大橋を折り返し、ゴールを目指す。

 

 スタートしてからの調子はまずまず、「フルマラソンは前半飛ばすと後半息切れし、結局タイムは遅くなるもの、レース前にエネルギーをたっぷりと補給していても、25キロ過ぎにはすべて使い切ってしまう」と経験者の方に聞いていたので、自分のいつもの練習ペースで10キロ、20キロと経験のある距離を走った。

 

 中間地点を過ぎ、少し走ると、店近く同世代の商店主とすれ違った。ペース配分を大事にしつつ、ゴール前の15ヵ所の給水所では、ドリンク以外にもぶどう糖、バナナ、オレンジ、パンなどの補給食を摂っていった。

 

 30キロ手前までは快調なペース、走りながら、店に出ていた妻に、そろそろ子供たちを連れてゴール地点に来てくれるよう携帯電話で連絡した。事前登録もしていたので、妻の携帯には10キロごとの僕のタイムと予想ゴールタイムがすでに記録速報(GTMails)となり届いている。

 

 30キロを過ぎて、ゴールに近づくと、だんだん足が重く動かなくなってくる。そこで、歩かないように、腕を大きく振り身体を前に押し出すようにした。

 

 35キロ地点、ここまで走らないと食べられないという、シャーベットステーションも無事通過、ゴールを目前に、子供たちの姿が目に入る。急に力が戻り、思いっきりラストスパート。皆が見守る中、ネットタイム5時間20分でゴールすることができた。

 

 この後、給水所の側で、初マラソン体験者の雑誌のインタビューを受けた。これがきっかけで、後日店の取材をしていただくことに。

 

「ランナーズ」という雑誌で2005年7月号、ランナーの店を紹介する「ランナー大好き」というコーナーで掲載された。

 

 「ランナーズ」は、ランナーにとって貴重な情報を、毎号きめ細かく紹介している雑誌である。

 

 料理や店の7枚の写真。記事には、僕のコメント「『トンカツ=カロリーが高くて、運動する人向けのメニューではない』と思っている方も多いでしょう。それは違うと、私がフルマラソンを完走することで証明したかったんです」。

 

 マラソン後、妻や子供たちと合流した。「顔中に、粉がふいたようになっているけど、それ何?」と妻に言われ、触ってみると、乾いた汗が塩になってざらざらしていた。

 

大会広場では、しばらくぶりに子供たちとバトミントンをしたり、自分が子供の頃に、可愛がっていた犬を川で泳がせた想い出の場所に行ってみたりした。

 

 今回フルマラソンを完走することで、「何事も諦めない気持ち、1つのことを継続すること、強い心を持つこと」を伝えられればと思っていたけれど、子供たちにとっては、僕と一緒に遊ぶ事の方がうれしかったようだ。でも何かしら心に残っただろう。

 

走り終わって時間が経つにつれ、だんだん足が動かなくなってきた。そんな姿を見て、次女や三女が率先して、肩につかまってと杖代わりに小さな肩を貸してくれる。そのやさしい気持ちはうれしかった。

 

(本文は、日本大学大学院総合社会情報研究科ホームページ・電子マガジン第20号・2005年6月1日発行・に連載された
「東武練馬まるとし物語第二部」の一部を引用し掲載しました)

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